【牛乳のはなし】日本の牛乳容器 vol.1
牛乳を取り扱う博物館というのはなかなか珍しいと思いませんか?牛乳博物館noteから牛乳にまつわる様々なテーマを扱う記事を配信していきます。
第一弾として取り上げられるのは、牛乳の容器。牛乳が普及する前はどのような容器を使っていたのか、そして現代の容器になるまでどのような歴史があったのか…。知っているようで知らない、そんな牛乳の容器についてのお話です。
日本の牛乳飲用の最初の記録は?
「日本の牛乳史」について、多くの人はあまり知らないかもしれません。しかし、実はその歴史は古く、飛鳥時代、孝徳天皇の時代に始まっていたのです。
『新撰姓氏録』(しんせんしょうじろく)という平安初期の書物に次のような記載があります。
姓氏録とは、当時の苗字を一覧にしてまとめたものです。
「和薬史主」という姓についてかかれたページになんと牛乳の文字が!
以下のような出来事があったことが読み取れます。
欽明天皇の時代に智聡が呉から来日
孝徳天皇の時代に善那(智聡の子)が牛乳を天皇に献上
孝徳天皇は喜ばれ、善那に「和薬史主」の姓を与える
善那が孝徳天皇に牛乳を奉納されたことが、日本最古の乳文化の記録として伝えられています。その後、孝徳天皇は牛乳に感銘を受け、典薬寮に乳上長という職を設置し、乳牛を飼育して牛乳を継続的に製造するよう命じられました。典薬寮は宮内での医療を司る部署であり、それゆえに、当時の牛乳は薬として用いられていたことが推測されます。
この時代の牛乳容器は?
さて、日本における牛乳のはじまりが飛鳥時代、孝徳天皇の時代だったことが分かりました。この時代はどのような容器に牛乳を入れていたのでしょう?
結論から申し上げますと、残念ながら当時の容器に言及した文書は残されていません。ただし、当時の一般的な入物といえば壺であり、牛乳も壺に入れていたのではないかと考えられています。
明治19年に東京乳牛共進舎が和薬史主福常(善那のこと)の祭典を実施し、福常の像を残した記録が残っています。この際も牛乳の容器は壺として描かれているようです。
まとめ
以上、「日本における牛乳の歴史」についてご紹介しました。
牛乳が日本に入ってきたのは、飛鳥時代と想像以上に古く、驚きですね。この話題から、私たちが日々摂取している身近な食品が、いかに長い歴史を持っているかを感じてもらえたでしょうか。
次回は江戸時代の牛乳容器のお話をしたいと思います。
これからも、牛乳に関するお話をお届けしていきますので、ぜひ引き続きご覧ください。