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【牛乳のはなし】日本の牛乳容器 vol.2

 牛乳を取り扱う博物館というのはなかなか珍しいと思いませんか?牛乳博物館noteから牛乳にまつわる様々なテーマを扱う記事を配信していきます。
第一弾として取り上げられるのは、牛乳の容器。牛乳が普及する前はどのような容器を使っていたのか、そして現代の容器になるまでどのような歴史があったのか…。知っているようで知らない、そんな牛乳の容器についてのお話です。

【前回のお話はこちら】
https://milk-museum.note.jp/n/n8b679acd3fe2



飛鳥時代から鎌倉時代


飛鳥時代は壺容器?(※イメージ)

前回の話では、飛鳥時代に牛乳が日本にもたらされたと言いました。しかし、それからずっと乳文化が続いているわけではありません。

鎌倉幕府が終わると、蘇の献上制度がなくなり、併せて牛乳の記録もなくなりました。その後、江戸時代までのおよそ460年間、日本では乳文化が存在しませんでした。

飛鳥時代から鎌倉時代は「蘇」を基にした乳文化が築かれていた


江戸時代の牛乳容器


江戸時代になると、いくつかの乳文化の記録を確認することが来ます。
『南部藩家老日誌』もそのひとつです。

『南部藩家老日誌(雑書)』とは
これは江戸時代初期の寛永21年(1644)から、幕末に近い天保11年(1840)までの約200年間、盛岡藩の家老が交替で記録し続けた政務日誌と呼べるもので、「盛岡藩家老席雑書」、「盛岡藩家老席日記」などとも呼ばれます。つまりこの『雑書』は、青森・岩手・秋田にまたがる盛岡藩の、江戸時代の動きを知ることができる大変貴重な資料になります。

企画展「『雑書』の世界 ー家老が書き残した盛岡藩ー」より

この日誌の中には、南部藩が牛乳を取り寄せて運搬させていた記述が残っています。

横浜(青森)より牛の乳を2盃竹筒に入れ、渡辺喜左衛門上る

南部藩家老日誌 慶安3年7月27日 より

この時の牛乳容器は、なんと竹筒

竹筒ではたしてちゃんと運搬できたのでしょうか?
※画像はイメージ

どのような形状かは残念ながら資料が残っておらず、竹筒を使用した記録もここでしかみることができません。局所的に利用されたと考えられます。
衛生面が心配ではありますが、竹には殺菌効果があるので、長い距離を運ぶのには価値があると言えるでしょう。

まとめ


以上、「日本における牛乳の歴史」についてご紹介しました。

牛乳は今ではよく知られていますが、驚くことに飛鳥時代から江戸時代までの記録はありませんでした。皆さんも竹のコップに牛乳を入れて、当時の南部藩の人たちの気分を味わってみてもよいかもしれません。

これからも、牛乳に関するお話をお届けしていきますので、ぜひ引き続きご覧ください。


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